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2009年6月 5日 (金)

西赤石山の銅山遺跡とマイントピア別子

去年の別子ダム日浦登山口に続き、
今年は東平登山口から登りました。
山の魅力も猿ことながら、銅山の遺跡が素晴らしい。
来年も行く予定なので、復讐じゃのうて復習。

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日浦側は江戸時代から大正までの遺跡が目白押し。
石垣ばかりで建築物が残っていないのは残念ですが
いたるところにある案内板(31箇所あるそう)の
写真を見ていると往時の繁栄ぶりが偲ばれ目を閉じれば
当時の喧騒が聞こえてきそう。
(コレだから登山モードにならず妙にしんどい)

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足谷川の沢沿いに登るので、登山道も変化に富み楽しい。
劇場跡や小学校跡、神社に山肌にへばりつく段々畑のような坑夫の住宅
ダイヤモンド水、蘭塔婆や歓喜坑、銅山越の無縁仏

東平側は大正、昭和の近代化遺産といえる物で
第一から4つある通洞。
通洞とは坑道の事かと思いきや
日浦側まで貫通させたトンネルで
坑夫や鉱石を運ぶのは勿論、生活物資や普段の足としても
普通に使われていた。

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銅山越に近い銅山峰ヒュッテにある第一通洞が
はじめに造られ、それまでは人足や牛馬に
頼っていた物資の輸送が飛躍的にのびる。
第二は不明、第三は東平、第四は端出場
なんと東赤石山の登山口にある筏津坑までもトンネルが通じていた。
休日に日浦にある劇場や娯楽施設に遊びに行く
普段の足としても使われていた。
端出場から上は上部鉄道と呼ばれまさに
インドのヒマラヤ鉄道を彷彿とさせていたのではないでしょうか。

マイントピア別子は端出場と呼ばれ最後の銅山本部があつた所。
最後に出来た第四通洞はさすがに立派。
サマザマナ施設ありますが
鉱山鉄道を模したトロッコに乗り観光坑道を
一周して1200円は結構な金額。
温泉のヘルシーランド別子はロッカールームも広く
露天風呂もあり、シアタールームでうたた寝も出来て
800円はマズマズ。
鉱山観光+砂金採り+温泉で2080円
コレで一日遊べればま、いいか

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しかし愛媛の人にはいいですが、広島からマイントピアのみの
目的で来るのはどうかな~
新居浜から端出場までの下部鉄道、角石原(銅山峰ヒュッテ)
までの上部鉄道を復活させ、日浦側に通ずるトンネルを整備し
メインの施設を復元すれば一大観光地になる。(そんな無茶な)
石見銀山も世界遺産になったし、
長崎の軍艦島も一部開放されすごい人出。
廃墟マニアとしては軍艦島も行ってみた~い。
でも別子銅山も物凄い素材。大事に保存していれば、
世界遺産にもなってたかも。
しかし石見銀山はまだ里に近く集落が残ったが
別子銅山はあまりにも山の中で銅山がなくなっては生活の糧がなく
町にデルホカなく廃れていった。

知れば知るほど楽しい別子銅山、魅力のある山も多く
四国はまだまだ訪れてみたい処です。

随所にある案内板の抜粋

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