忘れられない学生時代の農援アルバイト
先日の男鹿山の途中にあった岡田牧場で
学生時代に行った北海道のアルバイトを思い出す。
当時大学で紹介してた北海道の夏のバイトで
民宿の下働き
昆布漁
酪農家の手伝い
の三種類あった。
北海道の大自然にふれられる酪農家の手伝いを選んだ。
もう数十年前のことでほとんど記憶も薄れているが
完全に忘れる前に記録しておこう。
バイト代ももう忘れた。
多分1ヶ月働いて10万ぐらいだったっけ
三食昼寝付きで
最後まで働けば?往復の運賃も支給されるので、
北海道の旅行気分で申し込んだ。
青函連絡船で函館に着くとタクシーがドロドロで
タマゲタ記憶はなぜか残る。
目的地は釧路と根室の間にある厚岸。
今でもニュースで厚岸が流れるとつい見入る。
根室本線から見た太平洋は荒れていて、
ずいぶん遠くに来た心細い気持と共に、
酪農家ではたして仕事になるのか
不安感でいっぱいだった。
沿線沿いにある椴松にコケだろうかなにやら垂れ下がり
不気味な感じだった。
厚岸駅に迎えに来てもらった酪農家の方に乗せられ
たしか60km走って農家につく。
酪農家は確か多田さんという方だった。
いきなり牛の出産の最中だった。
残念ながら死産でしたがすごいものをみせてもらった。
翌日朝5時、牛の乳搾りから始まる。
牛舎の扉を開くと放牧していた牛たちが入ってくる。
みんなチチが張って早く搾ってほしいらしい。
遠目に見れば牧歌的な牛も平気で糞の上に寝たりするので
おっぱいをきれいに拭いて搾乳機をつける。
神経質な牛もいて新顔の私に蹴りを入れてくる牛もいれば
暴れまくる牛もいてそんなやつにはでっかいはさみの様な
拘束具を腰に挟むとおとなしくなる。
それでもどうしてもあんたにオッパイさわられるのはいやだ~
という牛もいてこの牛だけは多田さんが世話していた。
搾乳が終わると糞の始末。
スコップですくって一輪車で処分場に捨てる。
草食なのでそんなに臭いはないが
さすがに大量にあると…
7時ごろには終わり朝食と休憩の後、
いよいよ牧草の刈り取りが始まる。
刈った牧草は四角に固められ広大な牧草地に点々と置かれている。
トラクターに引かれた荷車に四角い牧草を積んでいく。
巨大なホークで突き刺し荷台に放り上げる。
5~6段は積み上げるので超キツイもうヘロヘロになる。
これを牛舎の二階にきれいに積んでいく。これも重労働。
地獄のようなキツサだったが2~3日してもっと
恐ろしい作業が始まる。
サイロに牧草を詰める作業だった。
酪農家に付き物のサイロ。牧歌的で絵になるサイロも
見るとやるトデ大違い。
出入口は下と上だけ。
下から入ると上からベルトコンベアーで
運ばれた牧草が落ちてくる。
ホークで平らにならしながらこれをアメリカインディアンの
ファイアーダンスのごとく踏みつけていく。
道東の夏は広島の春のような陽気だけど
風通しのないサイロの中はサウナの様。
汗ビッシャになり上から牧草が降ってきて草だらけ。
草負けして痒くてたまらない。
カキムシルノデ皮膚がケロイド状になる。
今は閉所恐怖症だけど当時は大丈夫だったのか
狭くて暗くて踏みつけた草が上の出口まで来ないと出られない。
早くも仲良くなった息子、小2だった次男がどうしても一緒に
入って作業すると言い張り二人でやったが、
この次男も初めてだったのか途中であまりのキツサに
泣き叫び出す。泣きたいのはこちらも一緒だったけど、
もう下の入口はふさがっているので上まで草が
たまらないと出られない。なだめすかしてがんばった。
地獄のようなサイロ詰め。
しかし一つしかないのでこれが終わればもうない。
との一念でがんばった
しかし次の日車に乗せられ出かける。
ドライブに行くのか~と喜んでいたら、
行った先は数十キロ離れた隣家の酪農家だった。
なんとそこでまたサイロ詰めの作業だった。
あと4~5軒の酪農家でやった。
貴重なアルバイトは徹底的に使われた。
当時は乳価も安くどこの酪農家も経営は大変だった。
事故で夫を亡くした奥さんが
一人で切り盛りする酪農家もあった。
8月になって雨が降り出し牧草が濡れると腐るので、
7月が勝負。バイトを雇えない酪農家の為にも働いた。
高校時代は体育系だったが大学では文科系
体がなまっていた私には初日から地獄の日々だった。
毎日指折り数えた。バイトの円満終了?まで
二日終わればあと1/15
三日終わればあと1/10
五日終わればあと1/6
牛舎の隅で人知れず泣きながら指折り数えた。
これほどきついので二人に一人(二年に一度)
は途中でバイトが逃げ帰るらしい。
しかし途中で帰ってしまうと
酪農家の人に多大な迷惑をかける。
もう途中で新たにバイトを雇う事は出来ない。
だからみんな家の人に言えず、
夜中に荷物をまとめて夜逃げのように出ていくらしい。
朝気付いた家の人が車で追いかけ駅まで送っていく。
一晩中歩き通しても駅に着くような場所ではない。
だから私も酪農家に迷惑かけてはいけないと
地獄の苦しみを耐え抜いた。
普段田舎に手紙など書かないのにこのときは
もう帰りたいとなんどか手紙を書いたらしい。
しかし若いのでやがて体も順応する。
二週間も働くとキツイ作業もぐっと楽になった。
そうなると見渡す限り水平線の続く北海道の大地や
澄み渡った夕陽を楽しめる余裕も出てきた。
道東の夏の朝は濃霧で朝日は一切拝めなかった。
牧草地の隅にコンクリのブロックで作った小屋があった。
六畳一間と土間の炊事場。
なんとこれが入植した当時の多田さんの自宅だった。
道東は豪雪地帯ではなく太平洋に面しているので
北海道の中では比較的暮らしやすい。
それにしても北海道でブロックの家とは。
入植当時は想像を絶する苦労をされたのでしょう。
多田さんはなんと熊本出身で晩酌は球磨焼酎を呑んでいた。
火の出るような焼酎を生で飲んでいた。
熊本弁と北海道弁がごっちゃになったしゃべり方は
なんだかとてもユーモラスだった。
御主人も奥さんもいい人だった。
牧草地は広大なので昼はよく弁当もって行った。
昼食が終わると牧草地に寝っころがって昼寝。
日陰などなく真夏の本土では考えられないが
道東では最高に気持いい。
夜にはストーブも焚いた。
多分私が寒いと気を使ってくれたのでしょうがこれは暑かった。
北国の人は寒さに過敏になりすぎている?
たまに小さな家ほどあるブルドーザーが通ることがある。
林をなぎ倒し牧草地にするためらしい。
巨大なブルなので地面が強烈に揺れる。
丁度搾乳中だったりするとびびった牛が
いっせいにションベンを始める。
これがもう滝のようなション便でたまげた。
搾りたての牛乳も毎日飲んだ。
上に脂が浮いているが液体は意外にさらっとしていて
しかし濃厚で旨かった。
子供の頃からこの成分未調整の生乳飲んでると
外人にも負けない体格になりそう。
前半は地獄だったが後半は楽園の様だった。
7月の1ヶ月間がバイト期間だったが
懐いてくれた子供たちが帰してくれない。
7~8月が夏休みだったので8月は北海道をあちこち
旅をしようと思っていたが、
子供たちの家庭教師の名目で2週間延長したが、
その2週間後も帰してくれず結局8月いっぱいいた。
7月の正規バイト中は2度しか休みはなかったが、
8月はもうそんなに農作業もないので
こどもたちと遊びに行った。
釧路湿原や摩周湖、納沙布岬へ行った。
摩周湖はきれいに晴れ渡り湖面がきれいに見えた。
納沙布岬は先端で弁当食ってたら急に霧笛がなり始め
飛び上がるほどたまげた。
毛がにの花咲ガニも食った。
小清水原生花園は見渡す限り天然の花園が続き
網走番外地も行った。
しかしついに別れの日はやってきて、
来年も必ず来ますからと固い約束をして去ったが
この約束は守れなかった。
翌年から大学の前期試験が7月になり
夏休みは7/20~9/20になってしまった。
バイトは7/1からで20日ではもう遅い。
それでも私は子供たちに会いたく
バイクで北海道に行く事にしたのだけれど…
そういえば庄原の郊外で牧草地に円筒状の
大きな白いものが転々と転がっているのを見かけたことがある。
後日そのなぞがNHK見てて解消するが、
ロールベールラップサイロ?とか
牧草ロールとか呼ばれる牧草を梱包したものだった。
白い包帯というか大きなビニールテープで円筒状に
固められた牧草をぐるぐる巻いていく。
@いう間に一丁上がりでこれは一体ナンなんだ~
どうせ大規模農場のアメリカで開発されたものだろうけど、
とてもメカニックでスッゴク面白そう。
当時これがあったら年季奉公も楽しかったでしょう。
人がいないからこんな機械が出来るのか
こんな機械が出来るから人があぶれるのか
こんな機械があれば農家の人は楽だろうけど幾らするのだろう?
しかし私にはあの夏の日牛舎の隅で人知れず泣いた日々は
いい経験だったと思う。
あ~この年でも雇ってくれるならもう一度
酪農のバイトをやりたい。
学生なら2週間で順応できるが
今の私だと2~3ヶ月はかかるだろうな~
そういえば山小屋のバイトのあるか~
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 相続や四十九日の手配(2012.04.01)
- 翌17日は打ち合わせと湯灌(2012.03.30)
- 19日の葬式は正午から(2012.03.31)
- ついに親父逝く(2012.03.29)
- 親父の余命1~2ヶ月になる(2012.02.23)


コメント
初めまして!
「酪農のバイト」でブログ検索しました。
私も32年前別海町の酪農実習に二ヶ月行きました。初めての農業体験でした、同じ様な体験をされていますね。当時を思い出しました。アメブロで宮崎県大崩山界隈のネタを書いておりますどうぞよろしく。
投稿: なんじゃく | 2011年11月 4日 (金) 16時45分
なんじゃくサンコメントありがとうございます。
遊び呆けていてご返事遅くなりました。
32年前でしたら同じ世代。
農援の仕事はきつかったけど、今ではよい思い出です。
落ち着いたらアメブロ拝見いたします。
投稿: 悠之介 | 2011年11月 7日 (月) 15時56分